カテゴリ:2013.5 2013.5 全ての記事 カテゴリ 2012.3 2013.2 2013.3 2013.4 2013.5 2019.1 2019.2 2019.3 2019.4 2019.5 2019.6 2019.7 2019.8 2019.9 2019.10 2019.11 2019.12 2020.1 2020.2 2020.3 2020.4 2020.5 2020.6 2020.7 2020.8 2020.9 2020.10 2020.11 2020.12 2021.1 2021.2 2021.3 2021.4 2021.5 2021.6 2021.7 2021.8 2021.9 2021.10 2021.11 2021.12 2022.1 2022.2 2022.3 アーカイブ 2024年10月 (11) 2024年9月 (13) 2024年8月 (4) 2024年7月 (8) 2024年6月 (12) 2024年5月 (15) 2024年4月 (17) 2024年3月 (9) 2024年2月 (30) 2024年1月 (55) 2023年12月 (33) 2023年11月 (51) 2023年10月 (38) 2023年9月 (44) 2023年8月 (19) 2023年7月 (35) 2023年6月 (55) 2023年5月 (51) 2023年4月 (42) 2023年3月 (14) 2023年2月 (19) 2023年1月 (14) 2022年12月 (17) 2022年11月 (30) 2022年10月 (23) 2022年9月 (21) 2022年8月 (14) 2022年7月 (15) 2022年6月 (22) 2022年5月 (23) 2022年4月 (19) 2022年3月 (19) 2022年2月 (21) 2022年1月 (18) 2021年12月 (19) 2021年11月 (16) 2021年10月 (22) 2021年9月 (20) 2021年8月 (12) 2021年7月 (16) 2021年6月 (22) 2021年5月 (17) 2021年4月 (17) 2021年3月 (17) 2021年2月 (20) 2021年1月 (16) 2020年12月 (19) 2020年11月 (20) 2020年10月 (20) 2020年9月 (20) 2020年8月 (10) 2020年7月 (21) 2020年6月 (18) 2020年5月 (6) 2020年4月 (3) 2020年3月 (4) 2020年2月 (13) 2020年1月 (12) 2019年12月 (14) 2019年11月 (14) 2019年10月 (18) 2019年9月 (13) 2019年8月 (15) 2019年7月 (30) 2019年6月 (10) 2019年5月 (7) 2019年4月 (10) 2019年3月 (11) 2019年2月 (14) 2019年1月 (19) 2018年12月 (0) 2018年11月 (0) 2018年10月 (0) 2018年9月 (0) 2018年8月 (0) 2018年7月 (0) 2018年6月 (0) 2018年5月 (0) 2018年4月 (0) 2018年3月 (0) 2018年2月 (0) 2018年1月 (0) 2017年12月 (0) 2017年11月 (0) 2017年10月 (0) 2017年9月 (0) 2017年8月 (0) 2017年7月 (0) 2017年6月 (0) 2017年5月 (0) 2017年4月 (0) 2017年3月 (0) 2017年2月 (0) 2017年1月 (0) 2016年12月 (0) 2016年11月 (0) 2016年10月 (0) 2016年9月 (0) 2016年8月 (0) 2016年7月 (0) 2016年6月 (0) 2016年5月 (0) 2016年4月 (0) 2016年3月 (0) 2016年2月 (0) 2016年1月 (0) 2015年12月 (0) 2015年11月 (0) 2015年10月 (0) 2015年9月 (0) 2015年8月 (0) 2015年7月 (0) 2015年6月 (0) 2015年5月 (0) 2015年4月 (0) 2015年3月 (1) 2015年2月 (2) 2015年1月 (2) 2014年12月 (6) 2014年11月 (9) 2014年10月 (6) 2014年9月 (0) 2014年8月 (0) 2014年7月 (0) 2014年6月 (0) 2014年5月 (0) 2014年4月 (0) 2014年3月 (0) 2014年2月 (1) 2014年1月 (1) 2013年12月 (0) 2013年11月 (0) 2013年10月 (2) 2013年9月 (1) 2013年8月 (0) 2013年7月 (1) 2013年6月 (0) 2013年5月 (3) 2013年4月 (1) 2013年3月 (1) 2013年2月 (3) 2013年1月 (0) 2012年12月 (0) 2012年11月 (0) 2012年10月 (0) 2012年9月 (0) 2012年8月 (0) 2012年7月 (0) 2012年6月 (0) 2012年5月 (0) 2012年4月 (0) 2012年3月 (1) 10件 1件 5件 10件 20件 50件 100件 千種高校歴史紹介シリーズ⑥ 投稿日時 : 2013/05/06 教頭 vice-principal カテゴリ:2013.5 千種高校歴史紹介シリーズ⑥ 「千種高校独立記念庭園」千種高校内の庭園と言えば、平成4年に整備された「中庭」が最もよく知られており、40歳代以上の卒業生の方々ならば、「ああ、昔ここにテニスコートがあったなあ…」という感慨を抱かれるのではないかと思います。また、「歴史紹介シリーズ①」でも最後に付け加えましたように、現在の庭園の象徴「自主敬愛の道」の碑が、平成4年までは今の藤棚の北側あたりに西向きに建てられていたということも、昔の卒業アルバム等から知ることができます。今回ご紹介するのは中庭ではなく、また、校訓碑の置かれている本館西側の植栽でもありません。生徒の皆さんは、特別教室棟の1階を通って体育館に向かう時に「ピロティ」と呼ばれるコンクリートの空間に出ますが、その壁の南側、つまり千種高校の敷地の未申(ひつじさる)の方向南西隅っこに、「富士山」形の岩を中心に据えた実に見事な「日本庭園」があるのを知っているでしょうか。5階建ての校舎に隠れてしまっていてわかりにくいのですが、形のよい数々の岩は苔むして、四季折々の草花が石庭の周辺に生い茂り、秋には秋の、また冬には冬の風情が漂う不思議な空間となっています。唯、いつ頃建てられたのでしょうか、電信柱が2本背後にあり、その景観を壊してしまっているのが非常に残念です。 さて、この庭園は何のためにいつ頃造られたのでしょうか。上記の「中庭」等については記録が残っているのですが、この庭園については明確な記録が残されておらず、すべては校長室に保存されている歴代の「卒業アルバム」から推測した結果なのですが、これは「昭和50年に県立千種高校として独立を果たしたことを記念して造られた、独立記念庭園である」と結論付けました。現在の体育館が建てられたのは昭和45年3月。特別教室棟が完成したのは昭和56年10月。昭和49年のアルバムには、体育館西方は黒い土のままで何もありませんが、昭和51年(1976)3月卒業の方のアルバムには、次のような立派な石灯篭を配置した日本庭園の写真が残されています。この年以降のアルバムにこの庭園の写真を見つけることはできません。本当に貴重な記録写真です。そして、写真の後方に現在も残る富士山形の岩が写っているではありませんか。どの程度の面積を持つ庭園であったかはわかりませんが、昭和56年までは体育館の西方に存在し、特別教室棟の工事によってその大部分が切り取られてしまった、つまり、現存する隅っこの庭園は「千種高校独立記念庭園」の一部であることは間違いありません。しかし、何と美しい形をした富士山形の岩なのでしょうか。周りの石の配置によって、私たちは中心であるこの岩に導かれ、思わず手を合わせたくなるような気持にさせられます。昨日のブログでも紹介した「笛石山(千種富士)」がここ千種にはあるということ。そして、この岩が配されている方向を考えると、以前に校訓碑を紹介した折りにも書きましたように(歴史紹介シリーズ②)、妙見社或いは後山(うしろやま)や日名倉山を向くように据えられていますので、この庭園ひいては千種高校の建設にも、自然豊かなこの千種の地に対する感謝の念及び山々や清流千種川への信仰心が働いているのではないかと思います。エジプトのピラミッドやカンボジアのアンコール・ワット等世界遺産の例を待つまでもなく、現存する遺跡等を目にすると「誰が、どんな情念でこれを建てたのか?」という疑問が湧いてきます。この富士山形の岩を中心とする築庭とて、一体誰が如何なる思いで造られたのでしょうか。興味が尽きません。 昭和50年といえばそれ程古い話ではありません。必ずやこの日本庭園造園の経緯に詳しい方やこの庭園を設計された庭師・造園師の方がおられるはずですので、何かご存知の方がおられましたら、是非とも本校までお知らせいただきますようお願い申し上げます。
千種高校歴史紹介シリーズ⑥ 投稿日時 : 2013/05/06 教頭 vice-principal カテゴリ:2013.5 千種高校歴史紹介シリーズ⑥ 「千種高校独立記念庭園」千種高校内の庭園と言えば、平成4年に整備された「中庭」が最もよく知られており、40歳代以上の卒業生の方々ならば、「ああ、昔ここにテニスコートがあったなあ…」という感慨を抱かれるのではないかと思います。また、「歴史紹介シリーズ①」でも最後に付け加えましたように、現在の庭園の象徴「自主敬愛の道」の碑が、平成4年までは今の藤棚の北側あたりに西向きに建てられていたということも、昔の卒業アルバム等から知ることができます。今回ご紹介するのは中庭ではなく、また、校訓碑の置かれている本館西側の植栽でもありません。生徒の皆さんは、特別教室棟の1階を通って体育館に向かう時に「ピロティ」と呼ばれるコンクリートの空間に出ますが、その壁の南側、つまり千種高校の敷地の未申(ひつじさる)の方向南西隅っこに、「富士山」形の岩を中心に据えた実に見事な「日本庭園」があるのを知っているでしょうか。5階建ての校舎に隠れてしまっていてわかりにくいのですが、形のよい数々の岩は苔むして、四季折々の草花が石庭の周辺に生い茂り、秋には秋の、また冬には冬の風情が漂う不思議な空間となっています。唯、いつ頃建てられたのでしょうか、電信柱が2本背後にあり、その景観を壊してしまっているのが非常に残念です。 さて、この庭園は何のためにいつ頃造られたのでしょうか。上記の「中庭」等については記録が残っているのですが、この庭園については明確な記録が残されておらず、すべては校長室に保存されている歴代の「卒業アルバム」から推測した結果なのですが、これは「昭和50年に県立千種高校として独立を果たしたことを記念して造られた、独立記念庭園である」と結論付けました。現在の体育館が建てられたのは昭和45年3月。特別教室棟が完成したのは昭和56年10月。昭和49年のアルバムには、体育館西方は黒い土のままで何もありませんが、昭和51年(1976)3月卒業の方のアルバムには、次のような立派な石灯篭を配置した日本庭園の写真が残されています。この年以降のアルバムにこの庭園の写真を見つけることはできません。本当に貴重な記録写真です。そして、写真の後方に現在も残る富士山形の岩が写っているではありませんか。どの程度の面積を持つ庭園であったかはわかりませんが、昭和56年までは体育館の西方に存在し、特別教室棟の工事によってその大部分が切り取られてしまった、つまり、現存する隅っこの庭園は「千種高校独立記念庭園」の一部であることは間違いありません。しかし、何と美しい形をした富士山形の岩なのでしょうか。周りの石の配置によって、私たちは中心であるこの岩に導かれ、思わず手を合わせたくなるような気持にさせられます。昨日のブログでも紹介した「笛石山(千種富士)」がここ千種にはあるということ。そして、この岩が配されている方向を考えると、以前に校訓碑を紹介した折りにも書きましたように(歴史紹介シリーズ②)、妙見社或いは後山(うしろやま)や日名倉山を向くように据えられていますので、この庭園ひいては千種高校の建設にも、自然豊かなこの千種の地に対する感謝の念及び山々や清流千種川への信仰心が働いているのではないかと思います。エジプトのピラミッドやカンボジアのアンコール・ワット等世界遺産の例を待つまでもなく、現存する遺跡等を目にすると「誰が、どんな情念でこれを建てたのか?」という疑問が湧いてきます。この富士山形の岩を中心とする築庭とて、一体誰が如何なる思いで造られたのでしょうか。興味が尽きません。 昭和50年といえばそれ程古い話ではありません。必ずやこの日本庭園造園の経緯に詳しい方やこの庭園を設計された庭師・造園師の方がおられるはずですので、何かご存知の方がおられましたら、是非とも本校までお知らせいただきますようお願い申し上げます。