千種高等学校の周辺案内 ・ 地域情報

地域紹介

名称 千草大森神社
紹介 町内「千草」の最北「八幕山」の麓、「大森の段」と呼ばれる地に鎮座まします神社で、「敷草村」の名の由来である「草を敷いて神の座を設けたところ」から、「大森大明神」とも言われていました。元は河呂の大森神社と同一社(河呂字明神野)であったのですが、参詣の便を計って現在地に移されたと「千種村是」は伝えています。祀られているのは「大山祇神(おおやまつみのかみ)」で、言わば日本全国の山を管理する総責任者です。境内には、子供の守り神である「若宮神社」もあります。千種高校をいつも見守っていて下さる一番身近なお社です。
名称 千草大森神社の虹
紹介 千種高校から見える大森神社の上には、よく虹が出ます。雨上がりの夕刻、2重の虹が森の上、植松山などに架かっていて、いつも心洗われる気持ちになります。そういえば、25年11月13日にプロレスラーの乱丸さんに来ていただいた時も、千種にきれいな虹が出ていて、とても感激されていました。自然のちょっとした変化が嬉しいですね。
名称 商店街駐車場のほのぼの壁画
紹介 千種市民局の隣、商店街の駐車場にほのぼのとした壁画があるのを御存知でしょうか。これは、平成16年の秋に当時の千種高校生(1・2年生美術選択者)が商店街の皆さんの要望を受けてデザインを考えて描いたものです。テーマは「わたしたちのふるさと」。自然豊かな千種の山で鳥や動物たちと一緒に遊ぶ子供たちの姿が、10年を経た今もなお鮮やかな色合いで私たちの心を和ませてくれています。
名称 天児屋たたら公園(鉄山跡)
紹介 千種町内には、古代より「たたら製鉄」を営んできた「鉄山(製鉄所跡)」が幾つかありますが、町内北部西河内(にしごうち)にある「天児屋(てんごや)鉄山」が規模・整備状況共に最も見ごたえがあります。千年以上の歴史を持ち、かつてここに製鉄所などの各施設があり、たたら職人やその家族約4百人が暮らしていました。向かい側に「たたらの里学習館」があり、「たたら製鉄」の歴史などについて学ぶことができます。
名称 宇野のお塚さん
紹介 天正8年(1580年)、三木城攻めに続いて行われた秀吉による播磨平定のクライマックス、山崎の長水城攻めによって落とされた城主宇野政頼主従が逃げ落ちたのが、現在千種の大森神社のあるあたりでした。折からの増水で千種川を渡ることができず、対岸の笛石山山上の猫石から発せられた味方の笛の合図も敵方のものと思い込み、もはやこれまでと諦めて百名弱の主従がここで自刃した、と言われています。場所は、杉の子保育園前に階段があり、そこを上ったところです。