千種高等学校の周辺案内 ・ 地域情報

地域紹介

名称 千草大森神社
紹介 町内「千草」の最北「八幕山」の麓、「大森の段」と呼ばれる地に鎮座まします神社で、「敷草村」の名の由来である「草を敷いて神の座を設けたところ」から、「大森大明神」とも言われていました。元は河呂の大森神社と同一社(河呂字明神野)であったのですが、参詣の便を計って現在地に移されたと「千種村是」は伝えています。祀られているのは「大山祇神(おおやまつみのかみ)」で、言わば日本全国の山を管理する総責任者です。境内には、子供の守り神である「若宮神社」もあります。千種高校をいつも見守っていて下さる一番身近なお社です。
名称 八重垣神社の農村歌舞伎舞台
紹介 千種町内には、河呂大森神社(河呂)、二宮神社(岩野邊)、そして八重垣神社(下河野)に「農村歌舞伎舞台」が今でも残っています。村人自身が演ずる「農村歌舞伎」は「地芝居」とも呼ばれ、娯楽の乏しい山あいの農村では貴重な民俗芸能でした。他の神社の舞台は通常閉じられていますが、ここ八重垣神社だけは開けっ放しでいつでも中の作りを見ることができ、床に「皿廻し式」の回り舞台の切れ込みがあるのがわかります。また、この神社の社叢は杉や檜ではなく、柏や椿、榊などの照葉樹が多く、大昔から神の宿る木に囲まれた神社となっています。
名称 河呂大森遺跡(弥生住居跡)
紹介 千種中学校の玄関前に写真のような看板が立っています。以前ここで多数の土器片が出土したことがあり、町民グラウンドの造成工事の折りに発掘調査をした結果、約25戸の弥生時代の住居が見つかりました。約3.5m~4.0m四方の大きさで、内部には水を貯めるための穴や焚火をした跡が残っていたとのことです。この玄関前は最も重要な部分であり、埋め戻して前庭にし、身近な歴史教材として今でも語り継がれています。
名称 商店街駐車場のほのぼの壁画
紹介 千種市民局の隣、商店街の駐車場にほのぼのとした壁画があるのを御存知でしょうか。これは、平成16年の秋に当時の千種高校生(1・2年生美術選択者)が商店街の皆さんの要望を受けてデザインを考えて描いたものです。テーマは「わたしたちのふるさと」。自然豊かな千種の山で鳥や動物たちと一緒に遊ぶ子供たちの姿が、10年を経た今もなお鮮やかな色合いで私たちの心を和ませてくれています。
名称 栄々人来広場
紹介 元「大通り広場」と呼ばれていましたが、平成24年春「栄々人来(ええとこ)広場」と命名され、千種町民に広く親しまれています。春は「ちくさ桜まつり」、秋の「ちくさふれあいフェスタ」などのイベントでは、舞台での演目を見ながら、町のグルメ屋台の味を楽しむことのできる祭の中心基地となっています。また、12月に入るとすばらしいイルミネーションに彩られ、2月頃まで地元の皆さんの冬の憩いの場ともなっています。
名称 日名倉山(三の丸)
紹介 千種高校の背景に見えている山が日名倉山です。頂上部分が三層となっており、不思議なことに高い方から「三の丸」「二の丸」「一の丸」と呼ばれています。千種高校の校歌3番にも、「ああ、秀麗の三の丸…」と詠われています。千種側の麓には「日名倉神社」があり、三の丸(頂上)にも小さな祠があることからもわかるとおり、地元の人たちにとって信仰の山となっています。標高1,345m、岡山側からは富士山のように見えるので「美作富士」と呼ばれています。三の丸頂上の写真もご覧ください。
名称 千草大森神社の虹
紹介 千種高校から見える大森神社の上には、よく虹が出ます。雨上がりの夕刻、2重の虹が森の上、植松山などに架かっていて、いつも心洗われる気持ちになります。そういえば、25年11月13日にプロレスラーの乱丸さんに来ていただいた時も、千種にきれいな虹が出ていて、とても感激されていました。自然のちょっとした変化が嬉しいですね。
名称 三室山
紹介 千種高校のグラウンドからいつも見える山。夏には夏のたくましさ、冬には冬の厳しさと、春には春の、秋には秋の色合いが実に豊かで美しい山。三室は「御室」に通じ、言わば「神のおわします山」。標高1,358m、氷ノ山後山那岐山国定公園の一部をなし、兵庫県では氷ノ山に続く第2の高峰です。千種高校の校歌にも、「緑すがしき 山脈(やまなみ)の極みに高し 三室山 厳しき姿 仰ぎつつ …」と謳われています。私たちにとって父でもあり、母ともなってくれる山です。
名称 高羅鉄山跡
紹介 町内北部の河内(こうち)へ向かう途中、右手の田んぼの中に一体の石碑が立っています。これは、以前この辺りに千種のたたら製鉄所の一つ「高羅鉄山(こうらてつざん)」があったことを示すもので、今では一帯が水田となっているが故にわかりにくいのですが、昨年(平成25年)に鳥居政義先生によって行われた、対岸の墓石数調査により二百基にも上る数が確認され、相当大きなたたら集落があったと考えられています。
名称 河呂大森神社の農村歌舞伎舞台
紹介 昭和45年に兵庫県指定文化財とされた、「農村歌舞伎舞台」は、町内に現存する3つの中でも特に精巧な作りをしており、間口9.95m、奥行9.03m、床高0.93m、入母屋造で奈落を楽屋として活用する面白い構造となっています。舞台構えも立派なもので、皿廻式(さらまわししき)で回転面径7.06mを有し、これによって舞台廻しが巧みに行えるものとなっています。今でも秋祭りには地元の人たちによる劇(歌舞伎ではありませんが)が演じられていますので、是非お越しください。