千種高等学校の周辺案内 ・ 地域情報

地域紹介

名称 高羅鉄山跡
紹介 町内北部の河内(こうち)へ向かう途中、右手の田んぼの中に一体の石碑が立っています。これは、以前この辺りに千種のたたら製鉄所の一つ「高羅鉄山(こうらてつざん)」があったことを示すもので、今では一帯が水田となっているが故にわかりにくいのですが、昨年(平成25年)に鳥居政義先生によって行われた、対岸の墓石数調査により二百基にも上る数が確認され、相当大きなたたら集落があったと考えられています。
名称 金屋子神降臨の地
紹介 千種町から波賀町に抜ける国道429号線沿い、岩野邊(いわのべ)地区を東へ進んだ辺りに写真のような石碑が建てられています。この近くには、かつてのたたら製鉄所跡「荒尾鉄山」があるのですが、たたらの守護神である「金屋子神(かなやごのかみ)」が神代の時代に降臨したのが、「岩鍋」(=岩野邊)の地であったと伝えられています。金屋子神は女性の神様で、ここ千種に降臨した後、白鷺の背に乗って奥出雲に向かい、そこで「たたら製鉄」の技法を伝授したと言われています。
名称 西河内のお塚さん
紹介 西河内村に入るとすぐに左手の田んぼの中に無銘の碑と2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が目に入ってきます。村の人は、これを「お塚さん」と呼び、鍋ヶ森神社創建伝説の佐藤盛唯の墓であるとか、平氏の落人の墓でもあるとか伝えています。いずれにしても、今でも村人によって花が手向けられ、この村の古くからの言い伝えとともに暮らしが成り立っているところに興味がひかれます。
名称 笛石山(千種富士)
紹介 標高894.6m、河呂や岩野邊方面から見るとなだらかな富士山型をした山。頂上近くに木の生えていない三角形の斜面があり、そこにまるでボタンのようにポツンと突き出た岩があります。「猫石」と呼ばれているのですが、その昔、秀吉に攻められた長水城主宇野政頼主従が逃げ落ちるとき、千種川対岸山上の岩の上から吹かれた笛の音を、実は味方からの合図であったのに敵と思い込み自刃したという悲しい話が残っています。その時からこの山は「笛石山」と呼ばれているのですが、山に登ってこの岩の左下から見ると確かに一匹の大きな猫が座っているように見えます。一度登ってみてください。(「猫石」の写真は、右下の「詳細を表示」をクリックしてください)
名称 河呂大森遺跡(弥生住居跡)
紹介 千種中学校の玄関前に写真のような看板が立っています。以前ここで多数の土器片が出土したことがあり、町民グラウンドの造成工事の折りに発掘調査をした結果、約25戸の弥生時代の住居が見つかりました。約3.5m~4.0m四方の大きさで、内部には水を貯めるための穴や焚火をした跡が残っていたとのことです。この玄関前は最も重要な部分であり、埋め戻して前庭にし、身近な歴史教材として今でも語り継がれています。
名称 河呂大森神社の農村歌舞伎舞台
紹介 昭和45年に兵庫県指定文化財とされた、「農村歌舞伎舞台」は、町内に現存する3つの中でも特に精巧な作りをしており、間口9.95m、奥行9.03m、床高0.93m、入母屋造で奈落を楽屋として活用する面白い構造となっています。舞台構えも立派なもので、皿廻式(さらまわししき)で回転面径7.06mを有し、これによって舞台廻しが巧みに行えるものとなっています。今でも秋祭りには地元の人たちによる劇(歌舞伎ではありませんが)が演じられていますので、是非お越しください。
名称 栄々人来広場
紹介 元「大通り広場」と呼ばれていましたが、平成24年春「栄々人来(ええとこ)広場」と命名され、千種町民に広く親しまれています。春は「ちくさ桜まつり」、秋の「ちくさふれあいフェスタ」などのイベントでは、舞台での演目を見ながら、町のグルメ屋台の味を楽しむことのできる祭の中心基地となっています。また、12月に入るとすばらしいイルミネーションに彩られ、2月頃まで地元の皆さんの冬の憩いの場ともなっています。
名称 日名倉山(三の丸)
紹介 千種高校の背景に見えている山が日名倉山です。頂上部分が三層となっており、不思議なことに高い方から「三の丸」「二の丸」「一の丸」と呼ばれています。千種高校の校歌3番にも、「ああ、秀麗の三の丸…」と詠われています。千種側の麓には「日名倉神社」があり、三の丸(頂上)にも小さな祠があることからもわかるとおり、地元の人たちにとって信仰の山となっています。標高1,345m、岡山側からは富士山のように見えるので「美作富士」と呼ばれています。三の丸頂上の写真もご覧ください。
名称 教信上人墓所
紹介 親鸞上人や一編上人が敬慕してやまなかった念佛行者の模範的存在。現在の加古川市野口町にある教信寺を拠点として念佛の普及活動をされていましたが、西国に来られた帰途、この千種の地で亡くなられ、葬られたのが現在の商店街黒土の地にある墓所となっています。伝えられるところでは、頭部は加古川に持ち帰られ、胴体がこの地に葬られて、その後西蓮寺が建てられたとのことです。毎年4月には「千種念佛」が行われ、昔は3千人を超える参拝者で賑わっていました。
名称 志引峠
紹介 志引峠は兵庫県と岡山県の県境にある峠で、千種町からは日名倉山などを横切って行くことが出来ます。山頂を越えると岡山県美作町になります。山々に囲まれていますが、広大な景色が広がるポイントがいくつもあり、とても心癒される場所です。唯、非常に残念なことに、この峠は不法投棄の名所となっており、谷底には大量の粗大ゴミがあったことから、平成21年から中高連携で「環境美化活動」に取り組み、毎年6月初旬に大量のゴミを谷底から引き上げています。