本校図書室の窓側西端の書棚に、「春名文庫」と書かれた木製の掲示板が立てられています。実は、これはつい最近まで同じ図書室内の全く別の書棚の上に置かれていました。年を経る中でその意味も全く忘れ去られてしまっていたものなのですが、今回は「春名文庫」について、その記録を後世に遺すべく書き留めておきたいと思います。
左下の写真で、書棚の2段目と3段目に並んでいる「NHKブックス」が「春名文庫」です。ベージュの表紙と背中に青いマークが付いていますのでよくわかります。この書棚と離れて、図書室北側に置かれている棚にもNHKの大型本、「交通博物館」等が数冊ありますが、これも「春名文庫」の中に含まれています。形が大きいので、別の所にあるようです。
「春名文庫」とは、昭和40年から昭和59年1月まで本校に数学科教諭として奉職された、「春名俊秀先生」の名前からつけられています。千種町七野のご出身で千種分校1期生のお一人。そして分校時代から昭和50年の独立を経て、18年間にわたって本校で教鞭を執られ、昭和59年1月18日にご病気のため現職でお亡くなりになった方です。今から30年前のことですから、51歳でいらっしゃったと思われます。
後列左端が春名先生(40周年記念誌より) 前列中央が先生(卒業アルバムから)
学校で一番厳しい先生-春名先生。そして一番優しい先生-春名先生。当時そのような声が生徒諸君の中にはあり、同僚の先生方にも広く慕われていた方であったようです。本校のPTA会報(当時は育友会報)「敷草」第12号(昭和59年2月25日発行)から、幾つか追悼文を紹介させていただきます。
「教えて厳」-春名先生を悼む- 大 西 一 爾 (昭和56年~60年教頭) 「教えて厳ならざるは、師としての怠りなり」。『言志四録』にあったと記憶している。なくなられた春名先生をおもうと、この言葉が浮かぶ。 定時制時代の分校に学び、本校卒業生の大先輩であった先生は、教職を天職とし情熱を傾けられた。「社会に出て通用する人間に」、「知識や技能だけでなく、しつけが身についた人間に」。先生がいつも口にしておられた言葉である。本校創立の精神に生き、身をもって厳しく実践されていた姿を、いまも目前にするようなおもいである。
- 生徒の弔辞より - 生徒会役員 大 北 康 代 千種高校生の生徒を代表して、春名先生にお別れをいわせていただきます。 春名先生が亡くなられたと聞いたとき、あんなにお元気そうだったのに、と信じられませんでした。 お話をなさるのも苦しそうなのにマイクを使って私たちに熱心に教えて下さった先生の御苦労もよく理解せずに、時々、ふまじめな態度だったこともありました。今思うと、そんな自分たちが情けなくて、つらい気持ちでいっぱいです。 何日も遅くまで補習をして下さったこと。進路について親身に相談にのって下さったこと。機会あるごとに、あの優しい笑顔で声をかけて下さったこと。だらしないこと、いいかげんなことをしていたら、こわい顔で厳しく注意して下さったこと……。今になってやっと、春名先生がどんなに真剣に、本気で、私たちのことを考えて下さったかが、はっきりとわかります。 春名先生にもう二度と教えていただけないなんて信じられません。今にも「そこ、静かにせいよ。」、「ホックをきちんととめんか。」、「こらよう勉しよるか。」という先生のお声が聞こえてきそうな気がしてなりません。教えていただいた多くのこと、数々の思い出を心の糧にして、先生が望まれていたように、素直な誠実な人間になっていきたいと思います。 春名先生、安らかにお眠り下さい。
1年後の昭和60年2月に発行された「敷草」第14号には、春名先生と同じ1期生の尾関豪一さん(千草)が一周忌の追悼文を寄せておられ、当時中学校の仮住まいで夜の授業をローソクの火を灯して受けたことや、授業が終わった後は教室の火鉢を囲んで話し込み、家に帰るのは夜中になったことなど、懐かしい思い出を綴っていらっしゃいます。
その同じ「敷草」の中に、「春名文庫」創設の紹介文が掲載されています。
故春名俊秀先生のご家族から、千種高校のために、といただいた大切なお金で、本を購入させていただきました。 NHKブックスの中から千種高校生に読んでもらいたい本を選び、「春名文庫」として図書室の一画に、コーナーを設けることになりました。 生徒の皆さんは、故春名先生や御家族のおこころにかなうよう、大切に、十分に、活用して下さい。
今からほぼ一年前の平成25年1月18日、お昼頃に春名先生の奥様にお電話をさせていただいて、「敷草」の中でいろんな方が先生への想いを綴っていらっしゃることや、18年という本当に長い間千種高校がお世話になったことへの感謝の気持ちを伝えさせていただきました。昨年の夏にお亡くなりになった山本賢有先生もそうですが、分校時代から独立を果たす頃を含めて、長きにわたって千種高校を見守っていただいた多くの大先輩の先生方がおられてこそ今があるということを、私たちは忘れてはならないと思っています。(平成26年3月6日雪の日 記) |