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千種高校歴史紹介シリーズ③ 校訓額「自立・信愛」

解説

千種高校の校訓「自立・信愛」については、制定年月日やその意味するところ、そして本館西側に鎮座する校訓碑の由来について前回紹介をさせていただきました。如何なる学校であれ、小中高の別を問わず、その学校の校訓を記した校訓碑や校訓額は必ずあるものであり、特に珍しい話でもないのですが、千種高校ほど多くの校訓額を掲げている学校は他に例を見ないと思います。

まずはそのすべてをご覧ください。


校長室  林 正男 先生 書


職員室  林 正男 先生 書


会議室  山部 一之 先生 書


体育館  山部 一之 先生 原書(彫刻版)


応接室  林 正男 先生 書?

本校には5つの校訓額があり、それぞれの場所で「自立」と「信愛」が、生きる上で非常に大事であることを訴えかけてくれています。我々教職員も、職員室で日々この校訓額を眺めているわけですが、自分たちがこの校訓の意味を忘れてしまっていないか、常に問い続けたいものであります。

さて、「林正男(はやし まさお) 先生」ですが、千種生まれの方なら誰でもご存知の有名な方であるようで、昭和50年1月から55年3月まで千種中学校の校長先生をされていました。また、それ以前に千種東小学校(平成22年度末閉校)の校長であられた時に、千種に昔あった「チャンチャコ踊り」を復元された方でもあります。昭和52年、校長として千種中学校の当時の教師集団を率いて出版された教育実践集「よろこびそだつ」は目を見張るような名著であり、今読んでも新しい知見に満ちたものとなっています。元々は、国語や書道の先生であられたようで、千種町内でも先生の号である「柳生」の入った扁額をよく見かけます。千種羊羹(ようかん)で有名な「塚崎末廣堂」様のお店にある「羹羊練(ねりようかん)」の額。旅館「瀧長」様の広間に掲げてある「室満気留」(りゅうきしつにみつ:この地に留まって旅の疲れを癒やそうという空気がこの部屋には満ち満ちている)を始めとする書画の類など、見かけられた方も多いのではと思います。応接室の扁額には号(名前)が入っていないので誰の作か不明なのですが、書体から林先生ではなかろうかという推測をしています。この作品だけ文字が左から書かれており、他の作品はすべて右から書かれています。いずれの作品もいつごろ書かれたものか現在のところわかっていません。数年前に、先生はお亡くなりになったとのことで、そのお声を聞くことができないのが残念です。

次に、「山部一之(やまべ かずゆき) 先生」は、本校で昭和48年から平成14年まで29年間書道を教えておられた方で、現在も山崎町元山崎のご自宅で「山部一翠(いっすい)書道教室」を開いておられます。山崎高校六回生で現在77歳、喜寿のお年を迎えておいでです。会議室の扁額には、(上の写真では画素数を落としているため見ずらいですが)校訓の横に「庚申春 一翠 書」とあります。「一翠」は先生の号で、「庚申春(こうしん[かのえさる] はる)」とは「昭和55年春」のことですが、本校の校訓「自立・信愛」が制定されたされたのが「昭和55年2月25日」でありますので、この山部先生の書がその直後に書かれたものであるということで、最も古いものであるということがわかります。電話で先生にその時のことを伺うと、「学校で校訓を決められて、その後すぐに書いてくれと頼まれ書きました。校訓の意味するところが生徒の皆さんに伝わればと願っています。」とのことでした。先生は、山崎高校、伊和高校、山崎東中学校の校歌額を書いておられ、地元山崎を中心に各所で作品を残されています。なお、体育館の校訓額は、平成11年に第24回卒業生の方々が卒業記念品として贈られたものなのですが、これは山部先生が直接書かれたものではなくて、会議室の書を原版として写し、文字の部分を彫ってそこに墨を塗って作製されたものです。ここには、校訓以外に「一翠 書」とはありますが、「庚申春」や落款(印鑑)は省かれています。

いずれに致しましても、学校内の各所に校訓額がこれだけ多数あり、いつどこにあっても私達を見守ってくれているということの意味を噛みしめつつ、日々の教育実践に打ち込んでまいりたいと思います。  

                                  

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