千種高等学校の周辺案内 ・ 地域情報

地域紹介

名称 笛石山(千種富士)
紹介 標高894.6m、河呂や岩野邊方面から見るとなだらかな富士山型をした山。頂上近くに木の生えていない三角形の斜面があり、そこにまるでボタンのようにポツンと突き出た岩があります。「猫石」と呼ばれているのですが、その昔、秀吉に攻められた長水城主宇野政頼主従が逃げ落ちるとき、千種川対岸山上の岩の上から吹かれた笛の音を、実は味方からの合図であったのに敵と思い込み自刃したという悲しい話が残っています。その時からこの山は「笛石山」と呼ばれているのですが、山に登ってこの岩の左下から見ると確かに一匹の大きな猫が座っているように見えます。一度登ってみてください。(「猫石」の写真は、右下の「詳細を表示」をクリックしてください)
名称 宇野のお塚さん
紹介 天正8年(1580年)、三木城攻めに続いて行われた秀吉による播磨平定のクライマックス、山崎の長水城攻めによって落とされた城主宇野政頼主従が逃げ落ちたのが、現在千種の大森神社のあるあたりでした。折からの増水で千種川を渡ることができず、対岸の笛石山山上の猫石から発せられた味方の笛の合図も敵方のものと思い込み、もはやこれまでと諦めて百名弱の主従がここで自刃した、と言われています。場所は、杉の子保育園前に階段があり、そこを上ったところです。
名称 西河内のお塚さん
紹介 西河内村に入るとすぐに左手の田んぼの中に無銘の碑と2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が目に入ってきます。村の人は、これを「お塚さん」と呼び、鍋ヶ森神社創建伝説の佐藤盛唯の墓であるとか、平氏の落人の墓でもあるとか伝えています。いずれにしても、今でも村人によって花が手向けられ、この村の古くからの言い伝えとともに暮らしが成り立っているところに興味がひかれます。
名称 教信上人墓所
紹介 親鸞上人や一編上人が敬慕してやまなかった念佛行者の模範的存在。現在の加古川市野口町にある教信寺を拠点として念佛の普及活動をされていましたが、西国に来られた帰途、この千種の地で亡くなられ、葬られたのが現在の商店街黒土の地にある墓所となっています。伝えられるところでは、頭部は加古川に持ち帰られ、胴体がこの地に葬られて、その後西蓮寺が建てられたとのことです。毎年4月には「千種念佛」が行われ、昔は3千人を超える参拝者で賑わっていました。
名称 クリンソウ群生地
紹介 千種町北部の「ちくさ高原」と「天児屋鉄山跡」に、全国でも有数のクリンソウ(九輪草)の群生地があります。絶滅危惧種にも挙げられていますが、千種の土壌によく合うということと、シカなどによる食害からも免れて5月から6月にかけて見事な花を咲かせています。地元では「クリンソウを守る会」を中心に鑑賞順路を整備し、その保護に力を注いでいます。