名称 | 千草大森神社 |
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紹介 | 町内「千草」の最北「八幕山」の麓、「大森の段」と呼ばれる地に鎮座まします神社で、「敷草村」の名の由来である「草を敷いて神の座を設けたところ」から、「大森大明神」とも言われていました。元は河呂の大森神社と同一社(河呂字明神野)であったのですが、参詣の便を計って現在地に移されたと「千種村是」は伝えています。祀られているのは「大山祇神(おおやまつみのかみ)」で、言わば日本全国の山を管理する総責任者です。境内には、子供の守り神である「若宮神社」もあります。千種高校をいつも見守っていて下さる一番身近なお社です。 |
名称 | 八重垣神社の農村歌舞伎舞台 |
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紹介 | 千種町内には、河呂大森神社(河呂)、二宮神社(岩野邊)、そして八重垣神社(下河野)に「農村歌舞伎舞台」が今でも残っています。村人自身が演ずる「農村歌舞伎」は「地芝居」とも呼ばれ、娯楽の乏しい山あいの農村では貴重な民俗芸能でした。他の神社の舞台は通常閉じられていますが、ここ八重垣神社だけは開けっ放しでいつでも中の作りを見ることができ、床に「皿廻し式」の回り舞台の切れ込みがあるのがわかります。また、この神社の社叢は杉や檜ではなく、柏や椿、榊などの照葉樹が多く、大昔から神の宿る木に囲まれた神社となっています。 |
名称 | 金屋子神降臨の地 |
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紹介 | 千種町から波賀町に抜ける国道429号線沿い、岩野邊(いわのべ)地区を東へ進んだ辺りに写真のような石碑が建てられています。この近くには、かつてのたたら製鉄所跡「荒尾鉄山」があるのですが、たたらの守護神である「金屋子神(かなやごのかみ)」が神代の時代に降臨したのが、「岩鍋」(=岩野邊)の地であったと伝えられています。金屋子神は女性の神様で、ここ千種に降臨した後、白鷺の背に乗って奥出雲に向かい、そこで「たたら製鉄」の技法を伝授したと言われています。 |
名称 | 天児屋たたら公園(鉄山跡) |
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紹介 | 千種町内には、古代より「たたら製鉄」を営んできた「鉄山(製鉄所跡)」が幾つかありますが、町内北部西河内(にしごうち)にある「天児屋(てんごや)鉄山」が規模・整備状況共に最も見ごたえがあります。千年以上の歴史を持ち、かつてここに製鉄所などの各施設があり、たたら職人やその家族約4百人が暮らしていました。向かい側に「たたらの里学習館」があり、「たたら製鉄」の歴史などについて学ぶことができます。 |
名称 | ミズバショウ植物園 |
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紹介 | 正式には、「ちくさ高原湿性植物園」と呼ばれ、4月中旬頃に咲く可愛らしい数々のミズバショウが毎年千種町に春が来たことを知らせてくれています。雪解け水のさらさらと流れる音色と共に、ミズバショウ(水芭蕉)の凛とした姿と純白の衣が見事なリズムを奏でてくれる、喜びの季節となっています。 |
名称 | 笛石山(千種富士) |
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紹介 | 標高894.6m、河呂や岩野邊方面から見るとなだらかな富士山型をした山。頂上近くに木の生えていない三角形の斜面があり、そこにまるでボタンのようにポツンと突き出た岩があります。「猫石」と呼ばれているのですが、その昔、秀吉に攻められた長水城主宇野政頼主従が逃げ落ちるとき、千種川対岸山上の岩の上から吹かれた笛の音を、実は味方からの合図であったのに敵と思い込み自刃したという悲しい話が残っています。その時からこの山は「笛石山」と呼ばれているのですが、山に登ってこの岩の左下から見ると確かに一匹の大きな猫が座っているように見えます。一度登ってみてください。(「猫石」の写真は、右下の「詳細を表示」をクリックしてください) |
名称 | 宇野のお塚さん |
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紹介 | 天正8年(1580年)、三木城攻めに続いて行われた秀吉による播磨平定のクライマックス、山崎の長水城攻めによって落とされた城主宇野政頼主従が逃げ落ちたのが、現在千種の大森神社のあるあたりでした。折からの増水で千種川を渡ることができず、対岸の笛石山山上の猫石から発せられた味方の笛の合図も敵方のものと思い込み、もはやこれまでと諦めて百名弱の主従がここで自刃した、と言われています。場所は、杉の子保育園前に階段があり、そこを上ったところです。 |
名称 | 西河内のお塚さん |
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紹介 | 西河内村に入るとすぐに左手の田んぼの中に無銘の碑と2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)が目に入ってきます。村の人は、これを「お塚さん」と呼び、鍋ヶ森神社創建伝説の佐藤盛唯の墓であるとか、平氏の落人の墓でもあるとか伝えています。いずれにしても、今でも村人によって花が手向けられ、この村の古くからの言い伝えとともに暮らしが成り立っているところに興味がひかれます。 |
名称 | 教信上人墓所 |
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紹介 | 親鸞上人や一編上人が敬慕してやまなかった念佛行者の模範的存在。現在の加古川市野口町にある教信寺を拠点として念佛の普及活動をされていましたが、西国に来られた帰途、この千種の地で亡くなられ、葬られたのが現在の商店街黒土の地にある墓所となっています。伝えられるところでは、頭部は加古川に持ち帰られ、胴体がこの地に葬られて、その後西蓮寺が建てられたとのことです。毎年4月には「千種念佛」が行われ、昔は3千人を超える参拝者で賑わっていました。 |
名称 | クリンソウ群生地 |
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紹介 | 千種町北部の「ちくさ高原」と「天児屋鉄山跡」に、全国でも有数のクリンソウ(九輪草)の群生地があります。絶滅危惧種にも挙げられていますが、千種の土壌によく合うということと、シカなどによる食害からも免れて5月から6月にかけて見事な花を咲かせています。地元では「クリンソウを守る会」を中心に鑑賞順路を整備し、その保護に力を注いでいます。 |
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