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千種高校歴史紹介シリーズ① 石碑「自主敬愛の道」

解説

学校にはそれぞれの歴史があり、卒業生や地域の方々が様々な願いを込めて校舎の内外に石碑や記念樹、そして書画扁額(しょがへんがく)等の品々を残されています。千種高校の中にも数多くの記念碑や書画等があり、これから折りにふれて不定期ではありますが、その幾つかを取り上げて紹介していきたいと思います。

その第一が、「自主敬愛の道」の石碑です。東門から学校に入って真っ先に目につくのがこの碑であり、今ではその後方にある中庭や特別教室棟の姿と共に千種高校の顔となっています。

 

 
この石碑が建てられた由来について、当時のPTA会報「敷草」(第18号:昭和62年2月25日発行)から拾ってみましょう。

 

 

 千種町ライオンズクラブ(会長塚崎篤人氏)は、昭和61年度のメイン事業として、千種高校へ記念碑を寄贈してくださいました。去る2月15日、会員の方々の奉仕作業で、中庭に建ててくださいました。2メートル余りの大きな石の中央に黒のみかげ石を配したりっぱなもので、3年生の在校中にと配慮してくださいました。卒業する3年生には、よい卒業の記念となりました。

 

 

 

  「自主敬愛の道」は、校歌の一節の「自主敬愛の道ゆかむ」のことばです。これからの社会は、ますます情報化、科学技術化がすすみます。これらの進歩によって、ふりまわされ、惑わされるのではなく、自ら判断し行動するためには主体性をもち、自主性を身につけることが大へん大事なことです。また、国際化もいっそうすすみ、人を敬愛する精神がより必要とされます。高齢化社会では異なる年代の人々が、ともに敬愛することが求められます。在学中には自主敬愛の道を求め、卒業後は自主敬愛の道を歩む、21世紀を迎えるにふさわしい碑文です。ライオンズクラブの皆様に心から感謝申し上げます。

 


上の写真1枚目(左端)の石碑右下部分を見てください。今では周りの木が少し大きくなって見えにくいのですが、黒い小さな石が見えるでしょう。そこに「千種町ライオンズクラブ」から贈られたということと、この碑文を書かれた、つまり揮毫(きごう)されたのは本校の第4代校長・上山勝先生だということが記してあります。先生によれば、信州へのスキー修学旅行から帰って来られたその晩に「校長さん書いてくれ」と頼まれて必死になって書いた、と笑いながらおっしゃっています。

なお、校歌2番の「自主敬愛の道ゆかむ」ですが、これは作詞者の松井利男先生(姫路商業高校初代校長、元兵庫県教育次長、兵庫県同和教育運動の父)が最も大事にされていた言葉で、同じく先生が作詞をされた姫路商業高校の校歌の1番に「自主の道」、3番に「敬愛の誓ひ」があります。千種高校(当時は千種分校)の校歌が制定されたのは昭和38年4月1日。姫路商業高校は同年11月25日です。松井先生と作曲者の秋月先生は西播磨で数多くの小中学校の校歌を作られていますが、高校は兵庫県内で2校だけです。両校の校歌に相通ずる松井先生の想いを大事にして、この校歌を歌い継いでいきましょう。

それから最後にもう一点、今では東門から見える位置に立っているこの石碑は、建立(こんりゅう)当時、中庭の藤棚の北側に西を向いて建てられていました。平成4年に中庭の整備工事が行われた時に、今の位置に東向きに移されたものだということを付け加えておきましょう。



 



 

 

 

 

 


 

解説2
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